2014-10-11

いわゆる"Principle Argument"とis-ought problemについての考察を試みる

※最初に断わっておきますが内容が当を得ている保証はありません。エジュケ用ではなく1年生などにはかえって混乱をきたす可能性があります。

*Principle Argumentとis-ought problem
Principle Argumentってなんでしょうか? たぶんPractical Argumentと並置されるタームであろうことは合意が得られると思うのです。でもどう定義しましょう? PrincipleとPracticalの区別がはっきりしないということはSheng Wuによってすでに言われています(http://trolleyproblem.blogspot.jp/2012/12/there-is-no-coherent-distinction.html)。だからリフレクでPrincipleとPracticalの単純な二分法で話すのが好まれないわけです。

でもここでis-ought problemに関するヒュームの議論(http://en.wikipedia.org/wiki/Is%E2%80%93ought_problem)を踏まえて考えてみると少しばかり整理が付けられるように思うのです。批判を恐れずに説明してしまえば、これはつまり「~である(価値判断を伴わない事実のステートメント)」というステートメントをどれだけ重ねていっても「~すべき(価値判断のステートメント)」という結論は導けないということです。たとえば「人を刺したら肉が切れる」、「肉が切れたら出血する」、「出血したら体内の血液が減る」、また「血液は脳などの臓器の維持に必須」、「臓器が損傷したら死んでしまう(可能性がある)」→結論として「人を刺したら死んでしまう(可能性がある)」は"is"のステートメントを重ねていけば順当に導けます。でも「だから人を刺してはいけない」と"ought"(shouldとだいたい同じ意味を持つ助動詞です)に移行することには明白な論理の飛躍があります。あらかじめ「人を殺してはいけない」というoughtのステートメントが与えられているときには正しいですが、それはさっきまでの"is"のつながりからは永遠に導かれないわけです。

このisからoughtに移る壁がディベートに大切になるのはなぜでしょうか? それはディベートはほとんどの論題において結論としてoughtを求めるからです。ポリシーモーションにおいては1.未来がどうなる「べき ought」か、2.その政策において未来が「どうなるか is」が必要です。「景気を回復させるべき ought」と「この政策をとれば景気が回復する is」の二つによって「この政策をとるべき」が言えます。そしてThis House WOULD do Xにyesあるいはnoという答えを出すためにはThis House SHOULD(SHOULDN'T) do Xを示すことが必要十分条件だと考えます。

(蛇足)なおこの「べき」はよい・わるいの価値とは必ずしも対応しませんが、以下では説明の都合で混同して用います。なぜ対応しないかというと、ある行為が「よいこと」あるいは「正義」だったり「善」だったりしても、だからある主体がその行為を「するべき」かは明らかではなく、それは主体の性質、立場や役割によるからです。たとえば命をかけて国のために戦うことはよいことでしょう。そして軍人はそれをするべきでしょう。しかし同じよい行為でも民間人がそれをするべきとは言えません。行為自体は同じなのに主体が違うと「べき」だったりそうでなかったりするわけです。

もちろん例外はあります。ポリシーでないモーション、たとえば"THBT the world was better off during cold war."のようなものは直接的には"is(was)"の結論を求めます。しかしこれにしても、"the world SHOULD be in this way"というoughtのディベートと、現実はどうであったかというis(was)のディベートが組み合わさっているという点では変わりません。あるいはregret系のディベートも過去を向いている点ではこの種のものですが、やはり原則は同じです。

ですから「どうなる」のisだけディベートしてもけっきょく結論は導けないわけです。一方でoughtだけディベートしようと思ってもあまりうまくいきません。というのはほとんどの「~べき」論は「~になるから、~すべき」というふうにできていて、isの部分が欠かせないからです。たとえば「電車の中では携帯電話で通話をしないべき」という主張は「人の迷惑になることをしてはいけないから」という理由でサポートされるでしょうが、それが成立するためには「電車の中で携帯電話で通話すると人の迷惑になる」(isのステートメント)という前提が真である必要があります。ですから「いやいや電車の中で会話しているのと一緒だろう」と言われて反論できなかったら「人の迷惑になることをしてはいけない」というステートメントが手つかずで残っていたとしても「迷惑にはならない」→「通話してもいい」となってしまうわけです。

(蛇足)oughtの結論につなげるためにどのようなisのステートメントが証明される必要があるかはモーションとoughtの「距離」によって変動します。例で説明します。「人を殺してはいけない」というoughtのステートメントを使ってモーションを否定したいとします。そのときにはつなげるために「政策をとる」→「事象Xが起きる」→「事象Yが起きる」→「事象Zが起きる」→「人が死ぬ」、「だから政策をとってはいけない」と結論するわけです。このときには政策をとってから人が死ぬまでの矢印で示した"is"の連鎖を全部守りきらなければなりません。何ステップもあれば守りきるのはなかなか骨が折れるでしょう。一方で距離がない場合もあります。政策そのもののアクションが行うべき・間違っていると言える場合です。極端な例ですが、たとえばTHW push the man(あの例の橋から太った人を突き落して列車を止めてほかの人を救うというやつです)においてモーションの文脈で押したらその人が死ぬことはすでに仮定されているので、「人を意図的に殺してはいけない」というoughtは間にisのステートメントを挟まないわけです。ただ今度はそれはそれでなぜ殺してはいけないのかを問われだしてしまいますが、それはあとで触れるought同士の対立の問題になります。

*oughtに到達する
では実際のディベートではどのようにoughtの結論にたどり着けるのでしょう?
**1. コンセンサスとなる
これは起こってしまえば一番手っ取り早いです。相手もoughtの部分に同意してしまえばその点は争いになりません。たとえば"THW trade with oppressive regime"において両サイドともoppressiveな状況から市民を救うことをゴールとした場合、残る争点はどちらの政策がoppressiveでなくせるかというisの争いだけになります。

とはいえこれは相手サイドの出方に依存しますからoughtにたどり着ける方法として自分の意思で利用できるわけではありません。

**2. 既存のoughtとつなげる
相手とのコンセンサスにならなくてもまだ方法はあります。私たちの即興ディベートは一般の聴衆を説得するものです。だからこそジャッジはaverage reasonable person略してARP(average inteligent personだったりglobal informed citizenだったりしますがなんでもいいです)だということになっています。そういう一般の価値観はまったくの白紙ではありません。人が死ぬことは悪いことだというのはほぼすべての場合において認められます。また差別も悪いことです。平和や公平はいいことに違いありません。そして抽象的ですが「幸福」は多くの場合で否定しがたいゴールであり、"is"をつなげていってどちらが幸福により近づけるかを争うことになるディベートは非常に多くあります。何が幸福なのかで争いになることはしばしばありますがそれはまた別の話です。そして個人が選択の余地を持てば幸福になれるという考え方から自由が重んじられます。このへんは常識的に考えてあたりまえですね。この「あたりまえ」の感覚がけっこう大事で、このような「ジャッジとの間でコンセンサスになる」ような価値判断を利用していくことが説得につながるわけです。ですから政策を行った・行わなかった結果をこういった一般の人たちがもともといい・わるいと認めている帰結につなげて、逆に相手がつなげようとする試みは妨害していくことになります。いわゆる「Practicalなディベート」は上の1番かこのパターンかに属します。たとえばTHW introduce carbon taxで、Govサイドから「APでは環境を守れるが、経済は悪くならない」と主張していき、Oppはその逆を主張するものの環境と経済のどちらを守るべきというような議論はないような場合です。

(蛇足)この「つなげる」という行為はさらに二つに分類できると考えます。一つにはcausation、もう一つはsimilarityです。政策がすでによい・わるいとみなされていることを引き起こすように事象と事象の間で因果関係を作るのがcausationです。たとえばdeath penaltyのモーションではdeterranceという概念を用いて犯罪減少(=よいこと)との因果関係を示そうとすることでしょう。一方でsimilarityは政策やそれによって引き起こされる事象がすでによい・わるいとみなされている事象に類似し、等価であることを示すわけです。たとえばoffencive art規制に関するモーションではそれがhate speech(=わるいこと)に類似していることを示そうとするでしょう。よく線引きの議論と呼ばれるやつですね。

とはいえ実際のディベートではそこまで簡単にはいきません。よほどチームの間でレベルの差がある場合でもない限り、APではきっと環境は守れるかもしれないけど経済にはいくらか悪影響はある、といったところに至ってしまうでしょう。こうなるとジャッジは困ります。環境は大切、経済も大切、どちらも既存のoughtですが、二つ比べてどっちが大切かとなるとARPのレベルでは判断できません。もう少し現実的な言い方をするとジャッジとしてはそこまで踏み込むのは過剰な介入ととらえられるのでやらないということです。

**3. 既存だが説明が必要なought
人が死ぬ、といった明らかな悪いことだけがディベートの主題ではありません。人が死ぬのはいついかなる場合でも避けるべきこと(極限的な状況(刑罰・安楽死)や境界線(中絶・脳死)などではディベートになる余地はありますが)ですが、世の中にはもっと微妙な価値があります。たとえばプライバシーが侵害されるというようなharmを出すとすると難しいでしょう。たしかにプライバシーってなんとなく一般の人が分かる概念でなんとなく大切そうだということは知られています。でも、抽象的なので1.そもそもプライバシーって何なのか、そして2.それが今回の状況でどう害されるのかの両方が必要です。これは人が死ぬという話より込み入った話になりますね。さらに、「人が死んだらどうして悪いのか?」という問いはなされない一方で、「プライバシーが害されたらどうして悪いのか」という問いは飛んできます。これはつまり、プライバシーは間接的な価値にすぎず、ほかのものを守るために守られるけれど、それ単体として絶対に守られるほどの価値は認知されていないということです。少なくともジャッジにそれを期待するのはかなり危ういのです。ですからけっきょくプライバシーは本当の意味でのoughtとは言えないわけで、3.幸福や自由などのより否定されにくいoughtにisでリンクしていく必要、も出てきてしまうわけです。これはデモクラシー、文化、宗教などにかかわるディベートに多いパターンです。

**4. 新しいoughtのステートメントを作れるか?
既存でないoughtのステートメントをディベートの中で打ちたてていけるのでしょうか? 基本的にはディベートの中でde novo(はじめから)でoughtのステートメントを作ることはできないと考えます。価値の創造は一朝一夕にはできないのです。たとえば環境保護という考え方は20世紀の途中から支持を得ていったわけですが、それは環境が人の命や生活など人がすでに認めている価値を守るために必要だという意味で間接的に価値を認められた(つまり、環境が壊れる→人に害というisのステートメントの接続が生じた)だけにすぎず、環境が直接に守られるべき(ought)とは必ずしもみなされていません。つまりちょうど上の2番のパターンですね。環境が失われれば人にも影響があることが暗黙的な了解になっているため一見すると直接的に環境を守っているように思えてしまいますが、なぜ守らなければならないかと問えば実際は間接的な理由なのです。

けれども他方では人の生活への影響を問わず環境そのものを守ることに価値を見出す人たちもいるし、そういう考えが拡大していることは事実です。でもそれは美しい環境が無残に破壊された様子のセンセーショナルな写真が報道されるなどして起こった現象で、ディベートの中でそこまで新しい思想を生み出すことはできません。

別の例としてAnimal Rightは人に影響しないし間接的な価値として生まれた感はありません。しかし人間との類似性、同じように痛みを感じるsentienceを持っているのだから守られるべきだというところから発展してきています。上で説明したsimilarity、つまり人の権利を土台にして拡張しているわけです。ですからoughtをまるっきり何もないところから生み出しはいません。人の権利は守られるべき(ought)→人と動物にはある程度類似性がある(is)→動物の権利もある程度守られるべき(ought)、という構図なのです。実際、人権思想がないところで動物が守られることは考えにくいですよね(生類憐みの令みたいな反例がぱっと浮かびますが、支配者がたまたま動物好きだっただけで社会として動物を守る価値観を共有していたわけではありません)。

またその人権を例にとって考えてみても、人々が権利を勝ち取るまでにどれほどの闘争を必要としたかを振り返れば、人の信じる価値というものはよほどのことでないと変わらないことが分かります。ですからディベートの中ではあくまですでにあるoughtを使うことしかできません。

5. 組み合わせて新しいoughtを作る
まったく新しくoughtのステートメントを作れないとしても、すでにあるものを組み合わせていくことはできるはずです。それはどのように可能なのでしょうか?

A. 複数のoughtが存在して優先順位をつけるとき
ここはある種のpracticalな、言い換えれば功利主義的な比較においてどちらが重要かを主張することができるはずです。規模とか、時間とか。あるいはどっちのほうが弱い、どっちのほうが責任がないなどの功利主義以外の価値観に基づく比較も可能で、それによりある種の新しいoughtのステートメントが作れるはずです。たとえば国家はプライバシーを守るべきというoughtと、国家は国民の安全を守るべきというoughtがあったら、後者がないと前者も成立しないのだからプライバシーと安全を天秤にかける時は安全を優先すべきというoughtができるわけです(反論の余地はもちろんありますし雑な議論ですがあくまで例として)。

B. 目的・役割分析を行うとき
これも上に似ているかもしれません。学校教育においてどうすべきとか、あるsocial movementがどうすべきとか、そういう話が出てくる場面においてはその団体や組織のuniquenessというか、目的を考えるとこれを追求すべき、といった主張が出てきえます。

(この辺未完ですが数か月放置してしまっているのでもう見切って書き終えてしまいます。)

唐突ですがメタファーを導入しつつまとめに入ります。

ディベートではたいていoughtの価値判断が必要になります。「oughtの水」みたいなものが地表の泉から湧き出ていると想像してください。ちょっと言い換えれば「正義」とか「善」がなぜか液体で湧いているのです。そして政策はどこかの地点に位置します。目指すのは湧いている水を自分の政策まで引いてくることです。別のところでought not(不正・悪)が湧いているのでそれを相手の政策に送る(harmを生じさせる)こともします。

Principle Argumentは新しく泉を作るわけではないですが、すでに湧いている泉を大きくしたり手入れする道具になります。そしてPractical Argumentは泉からモーションまで水を引いてくる水路の役割を果たすわけです。しかしある一つのArgumentが両方の働きをすることもあり、厳密に分けることはできません。

ときにPrincipleはコンセンサスとなります――両サイドが泉を共有して、どちらが自分の政策へより多くの水量を引けたかを競うわけです。でもそうでないとき、別々の泉を使うときもあります。そのときには、きちんと水路で水を引くことはもちろん必要ですが、どちらの泉のほうがいい水なのかを競うことも必要になります。ですから泉を手入れしてよりきれいにする必要があり、逆に相手の泉は汚染しようとするわけです。これがPrinciple同士の争いです。

Tab覚え書き

ほんとにただの覚え書きです。わかる人にはわかると思うけどそういう人はこれ読まなくてもわかるはず。

Tabbieについて

・セットアップは展開して実行するだけなので超簡単
・起動してブランクのデータができた時点でチームなどの入力を始める前にバックアップを作る。作った.sqlファイルはテンプレートとしてテキストエディタなどで編集できる。
・チームの登録はtabbieからブラウザ上でやっていると入力ミスしてチーム消しても消えなかったりしてトラブルの元。.sqlファイルを直接編集してレジのデータを整形したものを入れたほうが楽→簡略化するためマクロとか作りたい。
・ということで大学、チーム、部屋、スピーカー、ジャッジの登録は直接編集しよう。コンフリクトはブラウザ上で入れていってもいい。
・いったんドローを引いてしまうと戻せないので要バックアップ。
・外部からアクセスさせるには.htaccessを編集(これで解消できるのは403が出てるときのみ。そもそもつながらない時はほかの原因)ファイアウォールなども要確認。
・同じジャッジが繰り返し同じチームを見る問題は別途カウントするしかない→excelつくったのでuploadする予定。

3tab

外部からのアクセスを実現するにはTabbieのときと同様の.htaccessをwamp\www\に放り込む。
NAに使うときは3人目を適当な名前で登録し、0点にしておいて発表するタブでは消す。

データをクリアしたいときはとりあえずバックアップして、そのファイルから「スキーマのみ」をチェックしてリストア。

スコアレンジとかの設定ファイルはwamp\www\3tab\apps\3tab\config\app.ymlとwamp\www\3tab\cache\3tab\test\config\config_app.yml.php。二つがどう効くのかは不明だが少なくとも前者だけ書き換えても意味なし。

.cssいじったらマッチアップ見やすくできる?

オンラインジャッジ評価構想

Google Formから入力がおそらく一番無難。アクセスできない人はほかの人の端末借りるorコミで対応(この場合個人フィードバックを聞いてからになってしまう可能性があるが、反映しないようにお願いするしかない。現状でもRFDが短ければ評価シート回収前にフィードバック聞く可能性あるし大きくは変わらない)。入力したものはaccessのDBに貼り付ける。問題は提出漏れ。ディベーターは必ず提出するので一覧から提出がないところはすぐ見つかる。ジャッジは出てないのが1人ジャッジのせいなのか3人ジャッジなのに忘れてるのかの検出が困難→ディベーターからの評価にジャッジ人数を書かせれば一覧上で気づきやすいはず。重複提出はすぐわかるので問題ない。

2014-07-29

Feasibilityの不思議――alternative solutionのfeasibilityは仮定されうるか?

ポリシーモーションのディベートにおいてはモーションのfeasibilityはあるものと仮定することが求められます。つまり、THW ban tabaccoというモーションがあったとして、「いやいや反対されるからその法案は成立しないでしょう」というOppはナンセンスだということです。そもそもOppが「どうせ可決されない」と言うのは反対する理由としてしっくりきませんね。だからディベートはその法案が可決されたらどうなのか、という次元で行われるのです。以前の記事で紹介した"Speaking, Listening and Understanding"ではこの点について(schoolを変えるというpolicyを例にして)"You do not have to prove that your school will change. The question for the affirmative team in a policy debate is this: If an action were taken, would the results be desirable?"と触れています。(この点について言及した国際大会のルールなどがないかと思って見てみたのですが見つけられませんでした。ご存じだったらお知らせいただければ幸いです。)

それではこんなモーションを考えてみます:THW ban all private health insurance
そしてGovが次のことを言ったとしましょう。「privateな保険があるとpublicの保険の質が悪くなって貧しい(privateの保険を払えない)人が苦しむ。なぜならprivate insuranceを行う企業が政治家にlobbyingをしてpublicの質を上げないようにさせるから。選挙キャンペーンなどにお金が必要な政治家はそのような企業の望むように政策を作ってしまう。だからbanすべきだ。そうすれば貧しい人が助かる。」

……反論するところはいろいろとあるでしょう。でもそれ以前に何かがおかしいと思いませんか? もしここでOppがalternativeとして「いやいやpublicのやつの質を上げるようにすればいいだけでbanする必要はない」と言ったらGovは「だからそれができないって言っているでしょう」とあきれ顔で言うかもしれません。両者の立場を整理してみましょう。

(1)Govの政策:private insuranceをbanする(そしてpublic insuranceの質が上がる)
(2)Oppの政策:public insuranceの質を上げる(private insuranceはbanしないでおいて)

Govサイドは(1)がfeasibleであることを仮定しているわけです。それは前述のようにOppも否定できません。しかし他方でGovは(2)は反対されてしまうからnot feasibleと言っているのです。でも(2)が反対されてしまうのならよりextremeな政策である(1)はもっと反対されてしまうはずです。(2)はprivate insuranceの利益を減ずるだけですが、(1)は減ずるどころの騒ぎではありません。よって(1)のfeasibilityを仮定したら(2)もまたfeasibleだと認めないと一貫性に欠きます。自分のサイドは理想論としてfeasibilityをすっとばし(こうなったらいいなの話)ておきながら、相手サイドには現実性を求めている(本当にそうなるわけないじゃん)わけです。一つのディベートの中においては両サイドの政策は同等の立場で比較されなくてはより優れた政策はどちらなのかを明らかにできませんから、ディベートとしての意味がありません。ですからGovの上のようなargumentはモーションをサポートする理由として無効であるように思えます。すなわちこの場合ではalternativeのfeasibilityも否定できなそうだということです。

(なおこのケースではそもそもalternativeがmutually exclusiveでないじゃんと言われるかもしれませんが、それでもこれが言えればnecessityを大きく削りえて、結果としてharmを出すburdenがかなり軽くなりうるためOppには重要です)

ではつまり、OppはGovの提示する政策と異なるものであればどのようなalternativeもfeasibilityにかかわらずサポートする立場をとることが認められるのでしょうか? おそらくそれも行き過ぎたとらえ方でしょう。Govサイドはあくまで与えられたmotionについてfeasibilityを仮定できるだけなのに対し、Oppが考えつく限りいかなるalternativeも自由に理想論として展開できるというのは、あまりに突拍子もない話ができすぎてこれも建設的なディベートにはならないように思われます。

しかし、少なくとも「Govは『同じロジックを使ったら自分たちの政策自体もfeasibilityを失うようなロジック』によってOppのalternativeを否定することはできない」とは思います。つまり、少なくともGovとOppの政策が同一直線上にあって、Govのほうがより極端な政策なときはOppのよりマイルドな政策はfeasibleだとみなすべきだということです。

この考え方ではTHW abolish the veto power in UN security councilのようなモーションが成立しなくなります。もしvetoそのものを廃止するという決議がfeasibleだと仮定するならほかのどんな決議もfeasibleだと考えざるを得ませんから、vetoのために安保理が機能しないという主張ができなくなるためです。これはワーディングをTHBT the veto power in UN security council should be abolishedとそもそもfeasibilityを問題としない(単なる二つのパラダイムの比較である)valueモーションに書き換えれば解決する問題ではありますが。

しかしそう考えるとそもそもpolicyとvalueのmotionの違いは何なのかがあいまいな点も気になってきます。それについてはもしかしたらいつか書くかもしれません。

と、この考え方に対してどう思われるでしょうか? 例に挙げたようなmotionが実際に出ていることからしてこれは間違っているのでしょうか? しかしつねづね違和感を覚えていたので書いてみました。意見、質問、そして何より反論などいただければ幸いです。

2015年1月追記
WUDCで周りに聞いてみてもやはりこれはケースバイケースなのではないかという感触を得ました。すっきりはしませんが仕方ないのかもしれません。

2014-06-16

Tab周辺に使う道具

もう少し更新しようかと思っていたのですがなかなか……。ACに入っていることもあってディベートの内容にかかわることはちょっと控えて、Geminiのtab関係で作った道具を今後の大会のために二つほど共有します。たぶんtab触らない人にはわからない内容だと思いますがご了承ください。

ジャッジエバリュエーションの集計(MS Access利用)

https://drive.google.com/file/d/0B_SDjn3rodG8MUVDR2QyN1E3V1E/edit?usp=sharing
使い方は見ればわかるとおりですが、
  1. ジャッジリストにtab用のcsvからデータをコピーする(名前しか使っていないので大学名は省略可)
  2. ラウンドに応じて入力フォームR1-R4にデータを入れる
    被評価者はジャッジ名、評価者は勝ったチーム・負けたチーム・パネル・チェアのどれか。新規レコードに移動してから入力してください。既存のレコードを誤って書き換えてしまうことを防ぐ都合で一か所でも入力して次の項目に移ったらもう編集できないようになっています。新しいレコードに移動して入れなおしてください。入力者の欄をミスしたものは空欄にすればあとで削除するとき間違えがありません。なお
  3. 必要があれば元データのテーブルで編集する
  4. 集計する
    評価ABC順はtabに取り込む用途です。評価スコア順は単純にランキング。ただAccessでは循環小数が###となるのでExcelに貼り付けたほうが見やすいかもしれません。ラウンドごと平均はその名前の通りで各ラウンド別のスコアが見られます。それをラウンド間で平均したラウンドごと平均のラウンド間平均はスコア順のランキングとはややずれるので注意してください(どちらをランキングに使うかはACと要相談)。Winning, Losingはそれぞれ勝ったチーム、負けたチームからの評価だけを抽出したものです。

ジャッジがチームを見た回数のカウント(MS Excel)

https://drive.google.com/file/d/0B_SDjn3rodG8SUJNeWk1LTU2Ums/edit?usp=sharing
同じチームを見るのは二回まではOKですが三回目は回避する必要があります。ということでそのための集計です。

  1. まず3tabのmatchup(briefing roomではないほう)から対戦表をコピーしてExcelの仮のシートに貼り付ける
  2. Gov, Opp, Chair, Panel, Panel, Traineeと並んでいるので、Gov, Oppの二列をコピーして各ジャッジの列の後に挿入する(Chair, Gov, Opp, Panel, Gov, Opp, Panel, Gov, Opp, Trainee, Gov, Oppとなるように)
  3. 縦にJudge, Gov, Oppの三列だけになるようにセルを移動してやる
  4. 名前の昇順でソートする
  5. 掲載のExcelファイルの該当ラウンドの箇所に貼り付ける
  6. 右部分に2以上の数字が出たらそのジャッジは同じチームを二回以上見ています

備忘録程度のものなので分かりにくいかもしれませんがもし不明な点があればご質問ください。

2014-05-03

春Tのスコア分布分析

今回の春Tはスコアレンジが広いという触れ込みで行われましたが、実際に昨年とどの程度変化したのか調べてみました。

実際のスコアを見る前にスコアについての設定がどのようなものだったかを確認してみます。

大会のブリーフィング

スコアレンジ

2013年: 66-85
2014年: 65-85
このようにレンジ自体は実はほぼ同様なのです。

ジャッジテストで使われた点数の範囲

2013年: 73-76
2014年: 72-80
違うラウンドなので単純には比較できませんが、しかしそれでも80点の印象は強くジャッジには今年のほうが点数を広く使うよう求めているようにとらえられる可能性は高いでしょう。

スコアレンジへの説明を抜粋

2013年
  74-76「ブレイクするかしないか」
  77-79「確実にブレイク、top10スピーカーに入る可能性」
  80-83「GF、SFレベル」
  84-85「確実にベストスピーカー」

2014年
  74-76「2勝はするが、ブレイクするかどうかはサイドやモーションに左右される」
  77-78「トップ16チームに入ってブレイクはする」
  79-80「Quarter Final前後に進出」
  81-83「Semi Final-Grand Finalに進出」
  84-85「よほどよかったときのみ」
これを見るとややレンジが広がってる感はありますがさほどではありません。

実際のスコア分布

2013年は198人、2014年は192人の参加がありました。その一人一人が各ラウンドごとに取った点数で分布をグラフにすると以下のようになりました。グラフの横軸は点数で左が85点、右が65点です。縦軸はそれぞれの年で全体に対してその点数が着いた比率を示します。たとえば2013年に15%が77点を付けられている、と読むことができます。なおスコアは小数点を切り捨てました。


グラフを見ればわかるように2014年は2013年よりも中央の平均点から離れた点数が着くことが多くなりました。標準偏差も2014年が2.54、2013年が1.75でその結論を支持します。74-76に収まるケースは2013年では61%であるのに対し、2014年では47%に減少しました。

ここから形式的なスコアレンジはそのものは実際のスコアリングに大きな影響を持たない可能性が示唆されます。つまり制度上どこまでスコアがつけられるかよりも、ブリーフィングなどで口頭にてレンジを使うようどこまで強調するか、あるいはジャッジテストでどこまで使って見せるかが点数分布を決定する主な要因であることが考えられます。もっとも、レンジが69-81といった狭い大会で、広めに使うようブリーフィングした場合のデータがないため、単なるスコアレンジの広さは実際の広いスコア分布に対して十分条件ではなさそうであることがわかったのみで、必要条件であるのか否かは不明です。

2014-04-28

Debate Resource 1-Books of Debate

日本でも、あるいは海外に行ってもディベートのレクチャーを受ける機会は数多ありますが、本を読んでもディベートの勉強はできます。ということでいろいろと集めてみました。買うと配送に時間がかかるし高いですがpdfで読めるものもあります。

 おすすめ度☆☆☆

Winning Debates: A Guide to Debating in the Style of the World Universities Debating Championships
http://www.amazon.co.jp/Winning-Debates-Steven-Lee-Johnson/dp/1932716513/
pdf : http://idebate.org/sites/live/files/9781932716511.pdf
教科書ではなく、もう一歩進んだレベルでどう勝つかを扱った本。非常に良い。必読。

おすすめ度☆☆

Adjudication: Essays on the Philosophy, Practice, and Pedagogy of Judging British Parliamentary Debate
http://www.amazon.co.jp/Adjudication-Philosophy-Practice-Pedagogy-Parliamentary/dp/1617700673
BPジャッジについてのいろいろな論文的な投稿を集めたもの。Average Reasonable Personはどうあるべきかとかとか。すぐ役立つというわけではないけどなかなか面白い。

The Practical Guide to Debating: Worlds Style / British Parliamentary Style
http://www.amazon.co.jp/The-Practical-Guide-Debating-Parliamentary/dp/1617700169/
pdf : http://idebate.org/sites/live/files/9781617700163-web.pdf
BPの入門用教科書。知っているところも多いかもしれないが教えるときとかに使いやすそう。

Debating in the World School's Style: A Guide
http://www.amazon.co.jp/Debating-World-Schools-Style-Guide/dp/1932716556
pdf : http://idebate.org/sites/live/files/9781932716559.pdf
高校生大会WSDC用の教科書。やや違うフォーマットなもののケース設定の話が非常に詳しく書いてあってなかなか参考になる。なおもともとはAustralia Schoolスタイル向けに書かれていたもので以下でそのpdfが読める。
http://www.learndebating.com/

おすすめ度☆

The Sport of Debating: Winning Skills and Strategies
http://www.amazon.co.jp/The-Sport-Debating-Winning-Strategies/dp/0868406643
1995のWUDCチャンピオンが書いた本。さすがに例に出てくるモーションなど今とはずいぶん違うけど実践的な戦略を扱っていてなかなか面白い。

The Oxford Union Guide to Speaking in Public
http://www.amazon.co.jp/Oxford-Union-Guide-Speaking-Public/dp/0753509555
とりあえず名前がすごそう(笑) 内容としてはごくベーシックなパブリックスピーキングの基礎を扱ったもの。ディベートに特化してはいないし必ずしもこの本である必要はないがいい本。

On That Point!: An Introduction to Parliamentary Debate
http://www.amazon.co.jp/On-That-Point-Introduction-Parliamentary/dp/0972054111/
pdf : http://idebate.org/sites/live/files/9780972054119.pdf
ベーシックなアメリカのディベートの教科書っぽい。といっても即興ディベートのではあるけど。丁寧に書いてあるもののいまいちぱっとしない。

Across the House The Art and Science of World Universities Championship Debating
http://www.amazon.co.jp/Across-Science-Universities-Championship-Debating/dp/0757574106
わかりやすいBPの教科書なものの上のthe practical guide...のほうが詳しい。

おすすめしない

The Debating Book
http://www.amazon.co.jp/The-Debating-Book-Jeremy-Phillips/dp/0868403253/
上のThe Sport of Debatingと同じ著者で内容がずっと少ないものだからいらない。

Debating Values
http://www.amazon.co.jp/Debating-Values-Michael-D-Bartanen/dp/0897873416
アカデミック用。

Speaking, Listening and Understanding: English Language Debate for Non-Native Speakers
http://www.amazon.co.jp/Speaking-Listening-Understanding-Language-Non-Native/dp/1617700819/
主にアカデミック用。