2014-07-29

Feasibilityの不思議――alternative solutionのfeasibilityは仮定されうるか?

ポリシーモーションのディベートにおいてはモーションのfeasibilityはあるものと仮定することが求められます。つまり、THW ban tabaccoというモーションがあったとして、「いやいや反対されるからその法案は成立しないでしょう」というOppはナンセンスだということです。そもそもOppが「どうせ可決されない」と言うのは反対する理由としてしっくりきませんね。だからディベートはその法案が可決されたらどうなのか、という次元で行われるのです。以前の記事で紹介した"Speaking, Listening and Understanding"ではこの点について(schoolを変えるというpolicyを例にして)"You do not have to prove that your school will change. The question for the affirmative team in a policy debate is this: If an action were taken, would the results be desirable?"と触れています。(この点について言及した国際大会のルールなどがないかと思って見てみたのですが見つけられませんでした。ご存じだったらお知らせいただければ幸いです。)

それではこんなモーションを考えてみます:THW ban all private health insurance
そしてGovが次のことを言ったとしましょう。「privateな保険があるとpublicの保険の質が悪くなって貧しい(privateの保険を払えない)人が苦しむ。なぜならprivate insuranceを行う企業が政治家にlobbyingをしてpublicの質を上げないようにさせるから。選挙キャンペーンなどにお金が必要な政治家はそのような企業の望むように政策を作ってしまう。だからbanすべきだ。そうすれば貧しい人が助かる。」

……反論するところはいろいろとあるでしょう。でもそれ以前に何かがおかしいと思いませんか? もしここでOppがalternativeとして「いやいやpublicのやつの質を上げるようにすればいいだけでbanする必要はない」と言ったらGovは「だからそれができないって言っているでしょう」とあきれ顔で言うかもしれません。両者の立場を整理してみましょう。

(1)Govの政策:private insuranceをbanする(そしてpublic insuranceの質が上がる)
(2)Oppの政策:public insuranceの質を上げる(private insuranceはbanしないでおいて)

Govサイドは(1)がfeasibleであることを仮定しているわけです。それは前述のようにOppも否定できません。しかし他方でGovは(2)は反対されてしまうからnot feasibleと言っているのです。でも(2)が反対されてしまうのならよりextremeな政策である(1)はもっと反対されてしまうはずです。(2)はprivate insuranceの利益を減ずるだけですが、(1)は減ずるどころの騒ぎではありません。よって(1)のfeasibilityを仮定したら(2)もまたfeasibleだと認めないと一貫性に欠きます。自分のサイドは理想論としてfeasibilityをすっとばし(こうなったらいいなの話)ておきながら、相手サイドには現実性を求めている(本当にそうなるわけないじゃん)わけです。一つのディベートの中においては両サイドの政策は同等の立場で比較されなくてはより優れた政策はどちらなのかを明らかにできませんから、ディベートとしての意味がありません。ですからGovの上のようなargumentはモーションをサポートする理由として無効であるように思えます。すなわちこの場合ではalternativeのfeasibilityも否定できなそうだということです。

(なおこのケースではそもそもalternativeがmutually exclusiveでないじゃんと言われるかもしれませんが、それでもこれが言えればnecessityを大きく削りえて、結果としてharmを出すburdenがかなり軽くなりうるためOppには重要です)

ではつまり、OppはGovの提示する政策と異なるものであればどのようなalternativeもfeasibilityにかかわらずサポートする立場をとることが認められるのでしょうか? おそらくそれも行き過ぎたとらえ方でしょう。Govサイドはあくまで与えられたmotionについてfeasibilityを仮定できるだけなのに対し、Oppが考えつく限りいかなるalternativeも自由に理想論として展開できるというのは、あまりに突拍子もない話ができすぎてこれも建設的なディベートにはならないように思われます。

しかし、少なくとも「Govは『同じロジックを使ったら自分たちの政策自体もfeasibilityを失うようなロジック』によってOppのalternativeを否定することはできない」とは思います。つまり、少なくともGovとOppの政策が同一直線上にあって、Govのほうがより極端な政策なときはOppのよりマイルドな政策はfeasibleだとみなすべきだということです。

この考え方ではTHW abolish the veto power in UN security councilのようなモーションが成立しなくなります。もしvetoそのものを廃止するという決議がfeasibleだと仮定するならほかのどんな決議もfeasibleだと考えざるを得ませんから、vetoのために安保理が機能しないという主張ができなくなるためです。これはワーディングをTHBT the veto power in UN security council should be abolishedとそもそもfeasibilityを問題としない(単なる二つのパラダイムの比較である)valueモーションに書き換えれば解決する問題ではありますが。

しかしそう考えるとそもそもpolicyとvalueのmotionの違いは何なのかがあいまいな点も気になってきます。それについてはもしかしたらいつか書くかもしれません。

と、この考え方に対してどう思われるでしょうか? 例に挙げたようなmotionが実際に出ていることからしてこれは間違っているのでしょうか? しかしつねづね違和感を覚えていたので書いてみました。意見、質問、そして何より反論などいただければ幸いです。

2015年1月追記
WUDCで周りに聞いてみてもやはりこれはケースバイケースなのではないかという感触を得ました。すっきりはしませんが仕方ないのかもしれません。